ドレスデンポルツェランの歴史

 ドレスデンはドイツ東部、チェコ共和国との国境と程近い所に位置し、古くから高級磁器製造の拠点として知られてきました。ドイツ連邦共和国ザクセン州の首都であり、ドイツのみならず欧州全土の歴史上、重要な役割を果たしてきました。SPMドレスデン社の歴史も、他のドイツ企業と同じくドイツ近代史と共に歩んだと言えるものでした。 

 創始者のヨハン・カール・ゴットリープ・ティーメは、19世紀の中頃に興ったドレスデンの建築ブームの特徴とも言えるスタコウ・ラストロ法(漆喰などを用いて大理石のように表現するフレスコ画の技術)の考案者ともいわれています。その後、彼の娘達とともに磁器製品の製作を始めました。

 1868年ドレスデンのプラガー通りに初めてのショップを開店しました。このころに今でも愛されているドレスデンローズ、ドレスデンブーケなどのデザインが完成。

 1872年には、ポットシャペル(現在のフライタール)に製作所を開きザクシシェン・ポルツェラン・マニファクトアとして創立することになりました。

 1874年には、すでに塑造家としてまたデザイナーとして有名だったカール・アウグスト・クンチュを後継者として迎え製品の充実を図ることになり、現在でも大切にされているモデルも多く作られました。このころから会社は、順調に発展し各国の王家、名門貴族からたくさんの注文を受けるようになってきていました。

 1914年頃には、ヨーロッパ各地に倉庫やショップをもち社員は、300人を超えるようになっていました。ところが、第一次世界大戦の勃発により各地の倉庫やショップは、閉鎖を余儀なくされました。

 1920年にクンチュが亡くなると2人の息子が引き継ぐことになりました。しかしながらまたもや世界大恐慌が始まりヨーロッパにおいて発展し始めたところに大きな痛手を受けることになります。 

 世界中を席巻した大恐慌が下火になるころ、英国王室から多くの注文をうけるようになり、経済的な面だけでなく当社に対する評価という点からも大きな成果を上げることになりました。さらにエーミール・アルフレート・クンチュの経営手腕などにより業績を伸ばすことに成功します。
ところが、またもや時代の波は、当社をみまいます。第2次世界大戦ドイツ降伏により東西は、分断され当社は東ドイツの国策により1950年から国営化されてしまいました。マイセン社同様国策により製品を製作した時期が40年間ほど続くことになりました。


 1991年東西ドイツ統合によりようやく旧国営企業から個人の企業として独立することができました。

現在、Dr.アーノルド(美術史学者、博物館美術館館長、大学教授経験者)社長、ザイファート(財務)社長のもと各部門のマイスターその他の社員力を合わせて手仕事の奇跡と評価されたSPMドレスデンの磁器の美を、技術を、後世に伝えるべく精進、努力しております